「素朴な疑問だが、カレブは民主主義思想の現代社会になっても何故、神の存在が必要なのか?」との質問があったのでお答えします。

神様はやはり人を造った方であるので、人を良くご存じだと思います。
人が人を理解するよりも、秀でている事がよくよく考えてみると、気づいてきます。

神様が与えてくれた、神様を愛し、隣人を愛いする。

と言う掟は、非常によく出来た掟で、理論上は、これを全ての人が守ると、全ての人に平和が訪れますし、
逆にこれを守らないと、何時までも人と人との争いが絶えない事になります。

質問者が聞いてきた、今の日本は民主主義思想の現代社会であるというのは虚構であり、実際は資本主義が第一優先になっています。

本当の民主主義ならば、国民に等しく平等に権利が与えられているはずなのに、日本は国民に平等に権利が与えられているわけでは無いのです。

選挙権だって選ぶ権利は有るのですが、被選挙権は金を詰まないと選挙すら出れませんし、等しく、平等に権利が与えられていない事すら、日本国民は余り知らない事だと思います。

日本国民が本当の事を知ろうとすれば知る事が出来るのに、誰かが問題だと騒がないと、何故か気が付かないのです。

つまり知っている人は騒がず、知らない人は放置される。
そんな世の中であり、そんな国なのです。

既得権を得ている人は変えたくないし、本当の事を多くの人に知られたくないし、
既得権が無い人や金の無い人は、日々の金を得るために、朝から晩まで働く事を求められますね。

政治的な事は禁止などと、従業員規則にすら書かれ、自由を奪われ、考える事を奪われ、
日々を空しく、生きる事のみに、集中する様に飼育されていると言えます。

社畜と言う言葉が有りますが、この場合は国畜というのが的を得た答えだと思います。
日本国民は主権を有する人では無く、人と言う畜生として飼育されているのであり、選挙権は既得権者からしか選ぶ権利が無いのです。

イエス・キリストの言葉に留まる者は真理を知り、自由になるのですが、それは、ある意味おいて自分を縛っている物が何なのかが分かる人になる。と言う事なのです。

これは、神様の力の偉大さが顕著に現れる事例です。

また神様を愛する者の方が、実は強くなれるという実例も有ります。

例えば、日本とアメリカが過去に戦争をしました。

日本は初戦は強かったのですが、中盤から後半にかけてボロ負けして行きました。

個人的に問題点を考えてみると、日本は海軍と陸軍の仲が悪く、陸軍の方はアメリカの情報を正確に情報収集していて、海軍に海軍の暗号がアメリカに解読されている事を伝えたが、海軍はこれに耳を貸さず、ミッドウェイ海戦でボロ負けしています。戦術も劣悪だったし、戦略も最悪だったし、連携も最悪で、人事も最悪でした。

これでは海軍の勝てる見込みすら無いですよね。

陸軍も陸軍で、上層部では情報の大切さが分かっておらず、小さな戦闘では勝てても、戦略的に失策が多かった様です。これは、陸軍中野学校などによる情報収集した情報を、有効利用しなかった結果と言われています。

また、酷い話なのですが、終盤になりソ連が満州国に侵攻して来るという情報を上層部は入手した様ですが、実際に避難させるには輸送手段が乏しく、住民に知らせて避難させる事を止めた様です。

その結果、ソ連が侵攻してきた際には、陸軍の上層部の連中だけは先に逃げて、取り残された住民は放置され、後は過酷な逃避行が待っていました。

私の叔母も、その悲惨な逃避行に遭ったそうで、逃避行の最中に弟二人が亡くなったそうです。

一応、防衛部隊も配置されていましたが、元々満州国に派遣されていた精鋭は、南方戦線に送られていており、地元などで収集した一般人上がりの人たちに、武器を持たせて守らせていた程度なので、ソ連の強大な機甲軍の前では有効な闘いすら出来なかったと言われています。

ここで考えて欲しいのは、同じ日本人同士なのに、何故、彼らは不信により、仲たがいし、一致して事に当たる事が出来なかったのか?と言う問題です。

逆に、アメリカを見てみると民主党と共和党はお互い仲が悪かったが、イザ、国の重大事の時には、大統領を中心に一致結束して事に当たる事が出来ました。

彼らは何故、仲たがいしていたのに、一致結束できたのでしょうか?

ある人は、そういう民族性だ。と言っている様ですが、これでは本当の理由が分かりません。これはあくまで個人的な意見ですが、アメリカという国に住む多くの人は全知全能なる神様を信じており、お互いにイエス・キリストを信じる者だとの信頼関係が有り、最終的には知らない人、嫌いな人でも、神様を信じる事により、全知全能なる神様に委ねる事が出来て、それにより見ず知らずの人に任せる事が出来て、信頼の連鎖が生まれるものとおもわれます。そこが一番大きいポイントだと思っています。

神様が与えてくれた、モーセの十戒も「人と人との信頼を損ねる事は止めろ!」という教えだと思っています。

だから見ず知らずの人でも、キリストを信じる者は、人として悪い事はしないだろう。との推測が出来て、信頼関係を構築するのが容易いと思われるし、逆に、キリストを信じない者は、長い間付き合わないと、信頼できる人なのか、出来ない人なのかの判断に、時間が掛かりますよね。

人と人とが信頼するのに要する時間が掛かるのは、国益にも反する事であるのは、誰でも考えれば分かる事だと思います。

合理的に考え見てください。イエス・キリストを信じる事の方が、国としても強くなるので有益ですし、それが正しい道だと思います。

問題なのはキリスト教と言う宗教です。

このサイトでも書いた通り、カトリック教会が始めたキリスト教という宗教が曲者で、カトリック教会の教える教えを信じると、普通に主であるイエス・キリストを信じる者になると思われがちですが、実際には多くのカトリック信徒は「主はイエス・キリストだ!」と自認している事が蔑ろとなり、偽りになり、本人たちの自覚も無く、実際には「主はカトリック教会」になっている様です。

全てのカトリック信者がそうなるとは思いたく無いのですが、確認出来た限りではそれが多かった。と言うより、残念ながら、それしか確認が出来ていないのが現状です。

多くの自称キリスト教の宗派も同様の様で、主はイエス・キリストと言っていても、教会の教えを優先されている人が多くて困りものです。

イエス・キリストが自由にしてくれたはずなのに、自ら縛られる事を望むとはどういう事でしょうか?

目に映る人の言葉に惑わされ心を奪われて、目に見えない神様に心を捧げる事が不十分な人が多い気がします。

日本国も主をイエス・キリストとする国になる事を望みますが、キリスト教の国にはならないでほしいですね。