仏教を本当に信じている人って、未だに居るの?

私の家系は、元々は仏教なのです。

幼稚園も仏教系でしたし、仏教の経典の解説書も買って読みました。しかし読んで見て、人生に実りある事は書かれていませんでしたね、例えば「色即是空 空即是色」などは次の様な意味の様ですが

物質的なものはそのまま実体性をもたず、また実体性をもたないままでしかも物質的なものとして存在するという意味で、これに続いて感受作用、表象、認識などを形成する力、認識器官についても同様のことが述べられる。人間を取り巻く世界と人間、考えられうるすべての存在者は、人間が想定しがちな不変で固定的な固有の性質をもって存在するのではない、換言すると空であり、しかも空でありながらいろいろの原因条件によって現象しつつある、という般若経典の基本である空の思想を表現したもの。

これが仏教の中心的な教えの様ですし、これでは学ぶ意味が無いのでは?との考えに至ってしまいます。

 

仏教がしょうもない、教えである事を悟った私は、世界の趨勢である聖書に興味を持ち、友人が教会に誘ってくれた事をきっかけに聖書を読んで見て、本当のイエス・キリストを知り、洗礼を受けて、イエス・キリストの弟子となりました。

親戚は未だに仏教系ですが、命日とかには、仏教の坊さんに拝んでもらう事をしていた様ですが、1分か2分位、祈ってお金を貰って帰られていた様ですが、それが無駄という思いになり、お坊さんに来て祈るってもらう事は止めた様です。

ただ、先祖の遺骨が納められている納骨堂は、大枚を出して永代供養(本当は年会費が支払われないと、無縁仏と一緒の扱い)という名目で、縛られている事も有り、今後どうするかを悩んでいる様です。

私から言わせれば、先祖の遺骨をやら位牌やら、仏教の坊さんが拝みに来る仕組みにより、金を騙し取られるという詐欺的行為などを、名目上の仏教徒の人たちは、子孫に対する負の遺産となる様な呪縛を、将来にわたって継続するつもりなのでしょうか?

いわゆる仏教は、金の亡者かしており、捕れるだけ仏教徒の檀家から搾り取る事のみに、注力している様に見受けられられますし、比較的に賢いはずの日本人が騙され続けているのも、どうかと思います。

もう、いい加減、仏教の教えを信じるのは止めにしませんか?

とは言え、何を信じたら良いのか?と言うと、解決策は、イエス・キリストです。

イエス・キリストこそ真実ですし、真理です。

ただ、残念ながらお勧め出来る教会や教派が、まだ見つかっておりません。

しばしの御猶予を頂きたいと思います。

 

当然、私の考えに、異議を唱える人は出て来るでしょう。

異議をとなる人に、お聞きしたいのですが、いわゆる仏陀が生きているうちに涅槃に入ったらしいですが、仏陀以降に涅槃に入った方はご存知ですか?

未だに、自称仏教徒の方で、この答えを出せた方は居ません。

明らかに答えの出せない、仏教にしがみ付いる事に対して、得る事が可能であろう自己満足以外に何が有るのでしょうか?