いわゆるキリスト教なる宗教はイエス・キリストの教えでは無い

2018年11月29日

キリスト教の教義は、使徒の全てが亡くなって以降に、カトリック教会がキリスト教なる宗教をローマ帝国の一致に利用しようと画策し、第1ニカイヤ公会議(325年)以降の会議において、いわゆるキリスト教の教義を決めて来た事に起因します。

つまりカトリックと言う教会がキリスト教なる人の造った宗教を「これぞ神様の教えだ。」と称したに過ぎませんし、それ以外のイエス・キリストを主とする多くのプロテスタントなる教会が伝えているキリスト教は、カトリックが認めるキリスト教と相反する教えであり、主にキリスト教とは認めていません。

ただ、誤ってばかりのカトリック教会は全て完全に間違っている訳でも無く、全て誤りであるとも言えません。いわゆるイエス・キリストの教えも含まれており、普通の素人の目から見ても良・不良の識別が困難である事も起因している事もあり、今の迷走に繋がっているものと思われます。

カトリック教会の教えについて厳しい事を言うと、次の様に類すると見受けられます。

出エジプト記でイスラエルの民がエジプトを脱出し、シナイ山でモーセが民から離れて神様と話をしている最中に、モーセの帰りが遅いと思った民が、モーセの兄弟であるアロンに「私たちの神を造ってくれ」と願い出て、アロンが金の牛の像を造り「これが神だ」などと言って、偶像を造り上げ、神様から離れる事を行った事により、神様は非常に怒られた事例から類推出来る様に、カトリック教会も人の造った掟を「これを信じる者のみがキリスト教でありその他は異端だ」などと嘘偽り、自分たちが定めた掟を守る様に強要したのは、これに非常に似ていますね。

また正しいのはカトリック教会ではありません。
神様が唯一、正しい方なのです。

ではイエス・キリストの教えとは何か?
それは聖書の福音書でイエスが語られている事なのだが、重要なポイントは3つだと思います。

1.一番に神様を愛する。

「イエスは答えられた。「一番たいせつなのはこれです。『イスラエルよ。聞け。われらの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』」マルコ12:29-30

2.二番目に隣人を愛する。

「次にはこれです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』この二つより大事な命令は、ほかにありません。」マルコ12:31

3.三番目にイエスの言葉にとどまる。

「そこでイエスは、その信じたユダヤ人たちに言われた。「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」ヨハネ福音8:31-32

 

これがイエス・キリストの教えを学ぶ最重要ポイントになります。

世の人が造った偽りのキリスト教なる宗教を信じる信徒の特徴は、次の様なモノだと考えています。

「主はイエス・キリスト」と言っておきながら、細かい詳細部分を問うと「そこは教会の教理で・・・」などと自分の信じている教会の教えを語りだし、主イエス・キリストと言っていた事が実は偽りで有る事が露呈しメッキが剥がれます。

これは自称カトリック信者や自称エホバの証人の信者に見受けられました。

その他の多くの人が勘違いし易いのですが、教会に対する信仰がその人を救うのではありません。

その人自身のイエス・キリストに対する信仰により、その人自身が救われるのです。

聖書を読み、神様を愛し、隣人を愛し、イエスを愛して下さい。