コリント人への手紙第一(新改訳新約聖書(1965年版))

コリント人への手紙第一

第1章

  1. 神のみこころによってキリスト・イエスの使徒として召されたパウロと、兄弟ソステネから、
  2. コリントにある神の教会へ。すなわち、私たちの主イエス・キリストの御名を、至る所で呼び求めているすべての人々とともに、聖徒として召され、キリスト・イエスにあってきよめられた方々へ。主は私たちの主であるとともに、そのすべての人々の主です。
  3. 私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたの上にありますように。
  4. 私は、キリスト・イエスによってあなたがたに与えられた神の恵みのゆえに、あなたがたのことをいつも神に感謝しています。
  5. というのは、あなたがたは、ことばといい、知識といい、すべてにおいて、キリストにあって豊かな者とされたからです。
  6. それは、キリストについてのあかしが、あなたがたの中で確かになったからで、
  7. その結果、あなたがたはどんな賜物にも欠けるところがなく、また、熱心に私たちの主イエス・キリストの現われを待っています。
  8. 主も、あなたがたを、私たちの主イエス・キリストの日に責められるところのない者として、最後まで堅く保ってくださいます。
  9. 神は真実であり、その方のお召しによって、あなたがたは神の御子、私たちの主イエス・キリストとの交わりに入れられました。
  10. さて、兄弟たち。私は、私たちの主イエス・キリストの御名によって、あなたがたにお願いします。どうか、みなが一致して、仲間割れすることなく、同じ心、同じ判断を完全に保ってください。
  11. 実はあなたがたのことをクロエの家の者から知らされました。兄弟たち。あなたがたの間には争いがあるそうで、
  12. あなたがたはめいめいに、「私はパウロにつく。」「私はアポロに。」「私はケパに。」「私はキリストにつく。」と言っているということです。
  13. キリストが分割されたのですか。あなたがたのために十字架につけられたのはパウロでしょうか。あなたがたがバプテスマを受けたのはパウロの名によるのでしょうか。
  14. 私は、クリスポとガイオのほか、あなたがたのだれにもバプテスマを授けたことがないことを感謝しています。
  15. それは、あなたがたが私の名によってバプテスマを受けたと言われないようにするためでした。
  16. 私はステパナの家族にもバプテスマを授けましたが、そのほかはだれにも授けた覚えはありません。
  17. キリストが私をお遣わしになったのは、バプテスマを授けさせるためではなく、福音を宣べ伝えさせるためです。それも、キリストの十字架がむなしくならないために、ことばの知恵によってはならないのです。
  18. 十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。
  19. それは、こう書いてあるからです。「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さをむなしくする。」
  20. 知者はどこにいるのですか。学者はどこにいるのですか。この世の議論家はどこにいるのですか。神は、この世の知恵を愚かなものにされたではありませんか。
  21. >事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。それゆえ、神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです。
  22. ユダヤ人はしるしを要求し、ギリシヤ人は知恵を追求します。
  23. しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かでしょうが、
  24. しかし、ユダヤ人であってもギリシヤ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです。
  25. なぜなら、神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。
  26. 兄弟たち、あなたがたの召しのことを考えてごらんなさい。この世の知者は多くはなく、権力者も多くはなく、身分の高い者も多くはありません。
  27. しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。
  28. また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。
  29. これは、神の御前でだれをも誇らせないためです。
  30. しかしあなたがたは、神によってキリスト・イエスのうちにあるのです。キリストは、私たちにとって、神の知恵となり、また、義ときよめと、贖いとになられました。
  31. まさしく、「誇る者は主にあって誇れ。」と書かれているとおりになるためです。

第2章

  1. さて兄弟たち。私があなたがたのところへ行ったとき、私は、すぐれたことば、すぐれた知恵を用いて、神のあかしを宣べ伝えることはしませんでした。
  2. なぜなら私は、あなたがたの間で、イエス・キリスト、すなわち十字架につけられた方のほかは、何も知らないことに決心したからです。
  3. あなたがたといっしょにいたときの私は、弱く、恐れおののいていました。
  4. そして、私のことばと私の宣教とは、説得力のある知恵のことばによって行なわれたものではなく、御霊と御力の現われでした。
  5. それは、あなたがたの持つ信仰が、人間の知恵にささえられず、神の力にささえられるためでした。
  6. しかし私たちは、成人の間で、知恵を語ります。この知恵は、この世の知恵でもなく、この世の過ぎ去って行く支配者たちの知恵でもありません。
  7. 私たちの語るのは、隠された奥義としての神の知恵であって、それは、神が、私たちの栄光のために、世界の始まる前から、あらかじめ定められたものです。
  8. この知恵を、この世の支配者たちは、だれひとりとして悟りませんでした。もし悟っていたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。
  9. まさしく、聖書に書いてあるとおりです。「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」
  10. 神はこれを、御霊によって私たちに啓示されたのです。御霊はすべてのことを探り、神の深みにまで及ばれるからです。
  11. いったい、人の心のことは、その人のうちにある霊のほかに、だれが知っているでしょう。同じように、神のみこころのことは、神の御霊のほかにはだれも知りません。
  12. ところで、私たちは、この世の霊を受けたのではなく、神の御霊を受けました。それは、恵みによって神から私たちに賜わったものを、私たちが知るためです。
  13. この賜物について話すには、人の知恵に教えられたことばを用いず、御霊に教えられたことばを用います。その御霊のことばをもって御霊のことを解くのです。
  14. 生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらは彼には愚かなことだからです。また、それを悟ることができません。なぜなら、御霊のことは御霊によってわきまえるものだからです。
  15. 御霊を受けている人は、すべてのことをわきまえますが、自分はだれによってもわきまえられません。
  16. いったい、「だれが主のみこころを知り、主を導くことができたか。」ところが、私たちには、キリストの心があるのです。

第3章

  1. さて、兄弟たちよ。私は、あなたがたに向かって、御霊に属する人に対するようには話すことができないで、肉に属する人、キリストにある幼子に対するように話しました。
  2. 私はあなたがたには乳を与えて、堅い食物を与えませんでした。あなたがたには、まだ無理だったからです。実は、今でもまだ無理なのです。
  3. あなたがたは、まだ肉に属しているからです。あなたがたの間にねたみや争いがあることからすれば、あなたがたは肉に属しているのではありませんか。そして、ただの人のように歩んでいるのではありませんか。
  4. ある人が、「私はパウロにつく。」と言えば、別の人は、「私はアポロに。」と言う。そういうことでは、あなたがたは、ただの人たちではありませんか。
  5. アポロとは何でしょう。パウロとは何でしょう。あなたがたが信仰にはいるために用いられたしもべであって、主がおのおのに授けられたとおりのことをしたのです。
  6. 私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。
  7. それで、たいせつなのは、植える者でも水を注ぐ者でもありません。成長させてくださる神なのです。
  8. 植える者と水を注ぐ者は、一つですが、それぞれ自分自身の働きに従って自分自身の報酬を受けるのです。
  9. 私たちは神の協力者であり、あなたがたは神の畑、神の建物です。
  10. 与えられた神の恵みによって、私は賢い建築家のように、土台を据えました。そして、ほかの人がその上に家を建てています。しかし、どのように建てるかについてはそれぞれが注意しなければなりません。
  11. というのは、だれも、すでに据えられている土台のほかに、ほかの物を据えることはできないからです。その土台とはイエス・キリストです。
  12. もし、だれかがこの土台の上に、金、銀、宝石、木、草、わらなどで建てるなら、
  13. 各人の働きは明瞭になります。その日がそれを明らかにするのです。というのは、その日は火とともに現われ、この火がその力で各人の働きの真価をためすからです。
  14. もしだれかの建てた建物が残れば、その人は報いを受けます。
  15. もしだれかの建てた建物が焼ければ、その人は損害を受けますが、自分自身は、火の中をくぐるようにして助かります。
  16. あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。
  17. もし、だれかが神の神殿をこわすなら、神がその人を滅ぼされます。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたがその神殿です。
  18. だれも自分を欺いてはいけません。もしあなたがたの中で、自分は今の世の知者だと思う者がいたら、知者になるためには愚かになりなさい。
  19. なぜなら、この世の知恵は、神の御前では愚かだからです。こう書いてあります。「神は、知者どもを彼らの悪賢さの中で捕える。」
  20. また、次のようにも書いてあります。「主は、知者の論議を無益だと知っておられる。」
  21. ですから、だれも人間を誇ってはいけません。すべては、あなたがたのものです。
  22. パウロであれ、アポロであれ、ケパであれ、また世界であれ、いのちであれ、死であれ、また現在のものであれ、未来のものであれ、すべてあなたがたのものです。
  23. そして、あなたがたはキリストのものであり、キリストは神のものです。

第4章

  1. こういうわけで、私たちを、キリストのしもべ、また神の奥義の管理者だと考えなさい。
  2. このばあい、管理者には、忠実であることが要求されます。
  3. しかし、私にとっては、あなたがたによる判定、あるいは、およそ人間による判決を受けることは、非常に小さなことです。事実、私は自分で自分をさばくことさえしません。
  4. 私にはやましいことは少しもありませんが、だからといって、それで無罪とされるのではありません。私をさばく方は主です。
  5. ですから、あなたがたは、主が来られるまでは、何についても、先走ったさばきをしてはいけません。主は、やみの中に隠れた事も明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。そのとき、神から各人に対する称賛が届くのです。
  6. さて、兄弟たち。以上、私は、私自身とアポロに当てはめて、あなたがたのために言って来ました。それは、あなたがたが、私たちの例によって、「書かれていることを越えない。」ことを学ぶため、そして、一方にくみし、他方に反対して高慢にならないためです。
  7. いったいだれが、あなたをすぐれた者と認めるのですか。あなたには、何か、もらったものでないものがあるのですか。もしもらったのなら、なぜ、もらっていないかのように誇るのですか。
  8. あなたがたは、もう満ち足りています。もう豊かになっています。私たち抜きで、王さまになっています。いっそのこと、あなたがたがほんとうに王さまになっていたらよかったのです。そうすれば、私たちも、あなたがたといっしょに王になれたでしょうに。
  9. 私は、こう思います。神は私たち使徒を、死罪に決まった者のように、行列のしんがりとして引き出されました。こうして私たちは、御使いにも人々にも、この世の見せ物になったのです。
  10. 私たちはキリストのために愚かな者ですが、あなたがたはキリストにあって賢い者です。私たちは弱いが、あなたがたは強いのです。あなたがたは栄誉を持っているが、私たちは卑しめられています。
  11. 今に至るまで、私たちは飢え、渇き、着る物もなく、虐待され、落ち着く先もありません。
  12. また、私たちは苦労して自分の手で働いています。はずかしめられるときにも祝福し、迫害されるときにも耐え忍び、
  13. ののしられるときには、慰めのことばをかけます。今でも、私たちはこの世のちり、あらゆるもののかすです。
  14. 私がこう書くのは、あなたがたをはずかしめるためではなく、愛する私の子どもとして、さとすためです。
  15. たといあなたがたに、キリストにある養育係が一万人あろうとも、父は多くあるはずがありません。この私が福音によって、キリスト・イエスにあって、あなたがたを生んだのです。
  16. ですから、私はあなたがたに勧めます。どうか、私にならう者となってください。
  17. そのために、私はあなたがたのところへテモテを送りました。テモテは主にあって私の愛する、忠実な子です。彼は、私が至る所のすべての教会で教えているとおりに、キリスト・イエスにある私の生き方を、あなたがたに思い起こさせてくれるでしょう。
  18. 私があなたがたのところへ行くことはあるまいと、思い上がっている人たちがいます。
  19. しかし、主のみこころであれば、すぐにもあなたがたのところへ行きます。そして、思い上がっている人たちの、ことばではなく、力を見せてもらいましょう。
  20. 神の国はことばにはなく、力にあるのです。
  21. あなたがたはどちらを望むのですか。私はあなたがたのところへむちを持って行きましょうか。それとも、愛と優しい心で行きましょうか。

第5章

  1. あなたがたの間に不品行があるということが言われています。しかもそれは、異邦人の中にもないほどの不品行で、父の妻を妻にしている者がいるとのことです。
  2. それなのに、あなたがたは誇り高ぶっています。そればかりか、そのような行ないをしている者をあなたがたの中から取り除こうとして悲しむこともなかったのです。
  3. 私のほうでは、からだはそこにいなくても心はそこにおり、現にそこにいるのと同じように、そのような行ないをした者を主イエスの御名によってすでにさばきました。
  4. あなたがたが集まったときに、私も、霊においてともにおり、私たちの主イエスの権能をもって、
  5. このような者をサタンに引き渡したのです。それは彼の肉が滅ぼされるためですが、それによって彼の霊が主の日に救われるためです。
  6. あなたがたの高慢は、よくないことです。あなたがたは、ほんのわずかのパン種が、粉のかたまり全体をふくらませることを知らないのですか。
  7. 新しい粉のかたまりのままでいるために、古いパン種を取り除きなさい。あなたがたはパン種のないものだからです。私たちの過越の小羊キリストが、すでにほふられたからです。
  8. ですから、私たちは、古いパン種を用いたり、悪意と不正のパン種を用いたりしないで、パン種のはいらない、純粋で真実なパンで、祭りをしようではありませんか。
  9. 私は前にあなたがたに送った手紙で、不品行な者たちと交際しないようにと書きました。
  10. それは、世の中の不品行な者、貪欲な者、略奪する者、偶像を礼拝する者と全然交際しないようにという意味ではありません。もしそうだとしたら、この世界から出て行かなければならないでしょう。
  11. 私が書いたことのほんとうの意味は、もし、兄弟と呼ばれる者で、しかも不品行な者、貪欲な者、偶像を礼拝する者、人をそしる者、酒に酔う者、略奪する者がいたなら、そのような者とはつきあってはいけない、いっしょに食事をしてもいけない、ということです。
  12. 外部の人たちをさばくことは、私のすべきことでしょうか。あなたがたがさばくべき者は、内部の人たちではありませんか。
  13. 外部の人たちは、神がおさばきになります。その悪い人をあなたがたの中から除きなさい。

第6章

  1. あなたがたの中には、仲間の者と争いを起こしたとき、それを聖徒たちに訴えないで、あえて、正しくない人たちに訴え出るような人がいるのでしょうか。
  2. あなたがたは、聖徒が世界をさばくようになることを知らないのですか。世界があなたがたによってさばかれるはずなのに、あなたがたは、ごく小さな事件さえもさばく力がないのですか。
  3. 私たちは御使いをもさばくべき者だ、ということを、知らないのですか。それならこの世のことは、言うまでもないではありませんか。
  4. それなのに、この世のことで争いが起こると、教会のうちでは無視される人たちを裁判官に選ぶのですか。
  5. 私はあなたがたをはずかしめるためにこう言っているのです。いったい、あなたがたの中には、兄弟の間の争いを仲裁することのできるような賢い者が、ひとりもいないのですか。
  6. それで、兄弟は兄弟を告訴し、しかもそれを不信者の前でするのですか。
  7. そもそも、互いに訴え合うことが、すでにあなたがたの敗北です。なぜ、むしろ不正をも甘んじて受けないのですか。なぜ、むしろだまされていないのですか。
  8. ところが、それどころか、あなたがたは、不正を行なう、だまし取る、しかもそのようなことを兄弟に対してしているのです。
  9. あなたがたは、正しくない者は神の国を相続できないことを、知らないのですか。だまされてはいけません。不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、
  10. 盗む者、貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者はみな、神の国を相続することができません。
  11. あなたがたの中のある人たちは以前はそのような者でした。しかし、主イエス・キリストの御名と私たちの神の御霊によって、あなたがたは洗われ、きよい者とされ、義と認められたのです。
  12. すべてのことが私には許されたことです。しかし、すべてが益になるわけではありません。私にはすべてのことが許されています。しかし、私はどんなことにも支配されはしません。
  13. 食物は腹のためにあり、腹は食物のためにあります。ところが神は、そのどちらをも滅ぼされます。からだは不品行のためにあるのではなく、主のためであり、主はからだのためです。
  14. 神は主をよみがえらせましたが、その御力によって私たちをもよみがえらせてくださいます。
  15. あなたがたのからだはキリストのからだの一部であることを、知らないのですか。キリストのからだを取って遊女のからだとするのですか。そんなことは絶対に許されません。
  16. 遊女と交われば、一つからだになることを知らないのですか。「ふたりの者は一心同体となる。」と言われているからです。
  17. しかし、主と交われば、一つ霊となるのです。
  18. 不品行を避けなさい。人が犯す罪はすべて、からだの外のものです。しかし、不品行を行なう者は、自分のからだに対して罪を犯すのです。
  19. あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。
  20. あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現わしなさい

第7章

  1. さて、あなたがたの手紙に書いてあったことについてですが、男が女に触れないのは良いことです。
  2. しかし、不品行を避けるため、男はそれぞれ自分の妻を持ち、女もそれぞれ自分の夫を持ちなさい。
  3. 夫は自分の妻に対して義務を果たし、同様に妻も自分の夫に対して義務を果たしなさい。
  4. 妻は自分のからだに関する権利を持ってはおらず、それは夫のものです。同様に夫も自分のからだについての権利を持ってはおらず、それは妻のものです。
  5. 互いの権利を奪い取ってはいけません。ただし、祈りに専心するために、合意の上でしばらく離れていて、また再びいっしょになるというのならかまいません。あなたがたが自制力を欠くとき、サタンの誘惑にかからないためです。
  6. 以上、私の言うところは、容認であって、命令ではありません。
  7. 私の願うところは、すべての人が私のようであることです。しかし、ひとりひとり神から与えられたそれぞれの賜物を持っているので、人それぞれに行き方があります。
  8. 次に、結婚していない男とやもめの女に言いますが、私のようにしていられるなら、それがよいのです。
  9. しかし、もし自制することができなければ、結婚しなさい。情の燃えるよりは、結婚するほうがよいからです。
  10. 次に、すでに結婚した人々に命じます。命じるのは、私ではなく主です。妻は夫と別れてはいけません。
  11. ――もし別れたのだったら、結婚せずにいるか、それとも夫と和解するか、どちらかにしなさい。――また夫は妻を離別してはいけません。
  12. 次に、そのほかの人々に言いますが、これを言うのは主ではなく、私です。信者の男子に信者でない妻があり、その妻がいっしょにいることを承知しているばあいは、離婚してはいけません。
  13. また、信者でない夫を持つ女は、夫がいっしょにいることを承知しているばあいは、離婚してはいけません。
  14. なぜなら、信者でない夫は妻によってきよめられており、また、信者でない妻も信者の夫によってきよめられているからです。そうでなかったら、あなたがたの子どもは汚れているわけです。ところが、現にきよいのです。
  15. しかし、もし信者でないほうの者が離れて行くのであれば、離れて行かせなさい。そのようなばあいには、信者である夫あるいは妻は、縛られることはありません。神は、平和を得させようとしてあなたがたを召されたのです。
  16. なぜなら、妻よ。あなたが夫を救えるかどうかが、どうしてわかりますか。また、夫よ。あなたが妻を救えるかどうかが、どうしてわかりますか。
  17. ただ、おのおのが、主からいただいた分に応じ、また神がおのおのをお召しになったときのままの状態で歩むべきです。私は、すべての教会で、このように指導しています。
  18. 召されたとき割礼を受けていたのなら、その跡をなくしてはいけません。また、召されたとき割礼を受けていなかったのなら、割礼を受けてはいけません。
  19. 割礼は取るに足らぬこと、無割礼も取るに足らぬことです。重要なのは神の命令を守ることです。
  20. おのおの自分が召されたときの状態にとどまっていなさい。
  21. 奴隷の状態で召されたのなら、それを気にしてはいけません。しかし、もし自由の身になれるなら、むしろ自由になりなさい。
  22. 奴隷も、主にあって召された者は、主に属する自由人であり、同じように、自由人も、召された者はキリストに属する奴隷だからです。
  23. あなたがたは、代価をもって買われたのです。人間の奴隷となってはいけません。
  24. 兄弟たち。おのおの召されたときのままの状態で、神の御前にいなさい。
  25. 処女のことについて、私は主の命令を受けてはいませんが、主のあわれみによって信頼できる者として、意見を述べます。
  26. 現在の危急のときには、男はそのままの状態にとどまるのがよいと思います。
  27. あなたが妻に結ばれているなら、解かれたいと考えてはいけません。妻に結ばれていないのなら、妻を得たいと思ってはいけません。
  28. しかし、たといあなたが結婚したからといって、罪を犯すのではありません。たとい処女が結婚したからといって、罪を犯すのではありません。ただ、それらの人々は、その身に苦難を招くでしょう。私はあなたがたを、そのようなめに会わせたくないのです。
  29. 兄弟たちよ。私は次のことを言いたいのです。時は縮まっています。今からは、妻のある者は、妻のない者のようにしていなさい。
  30. 泣く者は泣かない者のように、喜ぶ者は喜ばない者のように、買う者は所有しない者のようにしていなさい。
  31. 世の富を用いる者は用いすぎないようにしなさい。この世の有様は過ぎ去るからです。
  32. あなたがたが思い煩わないことを私は望んでいます。独身の男は、どうしたら主に喜ばれるかと、主のことに心を配ります。
  33. しかし、結婚した男は、どうしたら妻に喜ばれるかと世のことに心を配り、
  34. 心が分かれるのです。独身の女や処女は、身もたましいもきよくなるため、主のことに心を配りますが、結婚した女は、どうしたら夫に喜ばれるかと、世のことに心を配ります。
  35. ですが、私がこう言っているのは、あなたがた自身の益のためであって、あなたがたを束縛しようとしているのではありません。むしろあなたがたが秩序ある生活を送って、ひたすら主に奉仕できるためなのです。
  36. もし、処女である自分の娘の婚期も過ぎようとしていて、そのままでは、娘に対しての扱い方が正しくないと思い、またやむをえないことがあるならば、その人は、その心のままにしなさい。罪を犯すわけではありません。彼らに結婚させなさい。
  37. しかし、もし心のうちに堅く決意しており、ほかに強いられる事情もなく、また自分の思うとおりに行なうことのできる人が、処女である自分の娘をそのままにしておくのなら、そのことはりっぱです。
  38. ですから、処女である自分の娘を結婚させる人は良いことをしているのであり、また結婚させない人は、もっと良いことをしているのです。
  39. 妻は夫が生きている間は夫に縛られています。しかし、もし夫が死んだなら、自分の願う人と結婚する自由があります。ただ主にあってのみ、そうなのです。
  40. 私の意見では、もしそのままにしていられたら、そのほうがもっと幸いです。私も、神の御霊をいただいていると思います。

第8章

  1. 次に、偶像にささげた肉についてですが、私たちはみな知識を持っているということなら、わかっています。しかし、知識は人を高ぶらせ、愛は人の徳を建てます。
  2. 人がもし、何かを知っていると思ったら、その人はまだ知らなければならないほどのことも知ってはいないのです。
  3. しかし、人が神を愛するなら、その人は神に知られているのです。
  4. そういうわけで、偶像にささげた肉を食べることについてですが、私たちは、世の偶像の神は実際にはないものであること、また、唯一の神以外には神は存在しないことを知っています。
  5. なるほど、多くの神や、多くの主があるので、神々と呼ばれるものならば、天にも地にもありますが、
  6. 私たちには、父なる唯一の神がおられるだけで、すべてのものはこの神から出ており、私たちもこの神のために存在しているのです。また、唯一の主なるイエス・キリストがおられるだけで、すべてのものはこの主によって存在し、私たちもこの主によって存在するのです。
  7. しかし、すべての人にこの知識があるのではありません。ある人たちは、今まで偶像になじんで来たため偶像にささげた肉として食べ、それで彼らのそのように弱い良心が汚れるのです。
  8. しかし、私たちを神に近づけるのは食物ではありません。食べなくても損にはならないし、食べても益にはなりません。
  9. ただ、あなたがたのこの権利が、弱い人たちのつまずきとならないように、気をつけなさい。
  10. 知識のあるあなたが偶像の宮で食事をしているのをだれかが見たら、それによって力を得て、その人の良心は弱いのに、偶像の神にささげた肉を食べるようなことにならないでしょうか。
  11. その弱い人は、あなたの知識によって、滅びることになるのです。キリストはその兄弟のためにも死んでくださったのです。
  12. あなたがたはこのように兄弟たちに対して罪を犯し、彼らの弱い良心を踏みにじるとき、キリストに対して罪を犯しているのです。
  13. ですから、もし食物が私の兄弟をつまずかせるなら、私は今後いっさい肉を食べません。それは、私の兄弟につまずきを与えないためです。

第9章

  1. 私には自由がないでしょうか。私は使徒ではないのでしょうか。私は私たちの主イエスを見たのではないでしょうか。あなたがたは、主にあって私の働きの実ではありませんか。
  2. たとい私がほかの人々に対しては使徒でなくても、少なくともあなたがたに対しては使徒です。あなたがたは、主にあって、私が使徒であることの証印です。
  3. 私をさばく人たちに対して、私は次のように弁明します。
  4. いったい私たちには飲み食いする権利がないのでしょうか。
  5. 私たちには、ほかの使徒、主の兄弟たち、ケパなどと違って、信者である妻を連れて歩く権利がないのでしょうか。
  6. それともまた、私とバルナバだけには、生活のための働きをやめる権利がないのでしょうか。
  7. いったい自分の費用で兵士になる者がいるでしょうか。自分でぶどう園を造りながら、その実を食べない者がいるでしょうか。羊の群れを飼いながら、その乳を飲まない者がいるでしょうか。
  8. 私がこんなことを言うのは、人間の考えによって言っているのでしょうか。律法も同じことを言っているではありませんか。
  9. モーセの律法には、「穀物をこなしている牛に、くつこを掛けてはいけない。」と書いてあります。いったい神は、牛のことを気にかけておられるのでしょうか。
  10. それとも、もっぱら私たちのために、こう言っておられるのでしょうか。むろん、私たちのためにこう書いてあるのです。なぜなら、耕す者が望みを持って耕し、脱穀する者が分配を受ける望みを持って仕事をするのは当然だからです。
  11. もし私たちが、あなたがたに御霊のものを蒔いたのであれば、あなたがたから物質的なものを刈り取ることは行き過ぎでしょうか。
  12. もし、ほかの人々が、あなたがたに対する権利にあずかっているのなら、私たちはなおさらその権利を用いてよいはずではありませんか。それなのに、私たちはこの権利を用いませんでした。かえって、すべてのことについて耐え忍んでいます。それは、キリストの福音に少しの妨げも与えまいとしてなのです。
  13. あなたがたは、宮に奉仕している者が宮の物を食べ、祭壇に仕える者が祭壇の物にあずかることを知らないのですか。
  14. 同じように、主も、福音を宣べ伝える者が、福音の働きから生活のささえを得るように定めておられます。
  15. しかし、私はこれらの権利を一つも用いませんでした。また、私は自分がそうされたくてこのように書いているのでもありません。私は自分の誇りをだれかに奪われるよりは、死んだほうがましだからです。
  16. というのは、私が福音を宣べ伝えても、それは私の誇りにはなりません。そのことは、私がどうしても、しなければならないことだからです。もし福音を宣べ伝えなかったら、私はわざわいに会います。
  17. もし私がこれを自発的にしているのなら、報いがありましょう。しかし、強いられたにしても、私には務めがゆだねられているのです。
  18. では、私にどんな報いがあるのでしょう。それは、福音を宣べ伝えるときに報酬を求めないで与え、福音の働きによって持つ自分の権利を十分に用いないことなのです。
  19. 私はだれに対しても自由ですが、より多くの人を獲得するために、すべての人の奴隷となりました。
  20. ユダヤ人にはユダヤ人のようになりました。それはユダヤ人を獲得するためです。律法の下にある人々には、私自身は律法の下にはいませんが、律法の下にある者のようになりました。それは律法の下にある人々を獲得するためです。
  21. 律法を持たない人々に対しては、――私は神の律法の外にある者ではなく、キリストの律法を守る者ですが、――律法を持たない者のようになりました。それは律法を持たない人々を獲得するためです。
  22. 弱い人々には、弱い者になりました。弱い人々を獲得するためです。すべての人に、すべてのものとなりました。それは、何とかして、幾人かでも救うためです。
  23. 私はすべてのことを、福音のためにしています。それは、私も福音の恵みをともに受ける者となるためなのです。
  24. 競技場で走る人たちは、みな走っても、賞を受けるのはただひとりだ、ということを知っているでしょう。ですから、あなたがたも、賞を受けられるように走りなさい。
  25. また闘技をする者は、あらゆることについて自制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。
  26. ですから、私は決勝点がどこかわからないような走り方はしていません。空を打つような拳闘もしてはいません。
  27. 私は自分のからだを打ちたたいて従わせます。それは、私がほかの人に宣べ伝えておきながら、自分自身が失格者になるようなことのないためです。

第10章

  1. そこで、兄弟たち。私はあなたがたにぜひ次のことを知ってもらいたいのです。私たちの先祖はみな、雲の下におり、みな海を通って行きました。
  2. そしてみな、雲と海とで、モーセにつくバプテスマを受け、
  3. みな同じ御霊の食べ物を食べ、
  4. みな同じ御霊の飲み物を飲みました。というのは、彼らについて来た御霊の岩から飲んだからです。その岩とはキリストです。
  5. にもかかわらず、彼らの大部分は神のみこころにかなわず、荒野で滅ぼされました。
  6. これらのことが起こったのは、私たちへの戒めのためです。それは、彼らがむさぼったように私たちが悪をむさぼることのないためです。
  7. あなたがたは、彼らの中のある人たちにならって、偶像崇拝者となってはいけません。聖書には、「民が、すわっては飲み食いし、立っては踊った。」と書いてあります。
  8. また、私たちは、彼らのある人たちが姦淫をしたのにならって姦淫をすることはないようにしましょう。彼らは姦淫のゆえに一日に二万三千人死にました。
  9. 私たちは、さらに、彼らの中のある人たちが主を試みたのにならって主を試みることはないようにしましょう。彼らは蛇に滅ぼされました。
  10. また、彼らの中のある人たちがつぶやいたのにならってつぶやいてはいけません。彼らは滅ぼす者に滅ぼされました。
  11. これらのことが彼らに起こったのは、戒めのためであり、それが書かれたのは、世の終わりに臨んでいる私たちへの教訓とするためです。
  12. ですから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい。
  13. あなたがたの会った試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。
  14. ですから、私の愛する者たちよ。偶像礼拝を避けなさい。
  15. 私は賢い人たちに話すように話します。ですから私の言うことを判断してください。
  16. 私たちが祝福する祝福の杯は、キリストの血にあずかることではありませんか。私たちの裂くパンは、キリストのからだにあずかることではありませんか。
  17. パンは一つですから、私たちは、多数であっても、一つのからだです。それは、みなの者がともに一つのパンを食べるからです。
  18. 肉によるイスラエルのことを考えてみなさい。供え物を食べる者は、祭壇にあずかるではありませんか。
  19. 私は何を言おうとしているのでしょう。偶像の神にささげた肉に、何か意味があるとか、偶像の神に真実な意味があるとか、言おうとしているのでしょうか。
  20. いや、彼らのささげる物は、神にではなくて悪霊にささげられている、と言っているのです。私は、あなたがたに悪霊と交わる者になってもらいたくありません。
  21. あなたがたが主の杯を飲んだうえ、さらに悪霊の杯を飲むことは、できないことです。主の食卓にあずかったうえ、さらに悪霊の食卓にあずかることはできないことです。
  22. それとも、私たちは主のねたみを引き起こそうとするのですか。まさか、私たちが主よりも強いことはないでしょう。
  23. すべてのことは、してもよいのです。しかし、すべてのことが有益とはかぎりません。すべてのことは、してもよいのです。しかし、すべてのことが徳を高めるとはかぎりません。
  24. だれでも、自分の利益を求めないで、他人の利益を心がけなさい。
  25. 市場に売っている肉は、良心の問題として調べ上げることはしないで、どれでも食べなさい。
  26. 地とそれに満ちているものは、主のものだからです。
  27. もし、あなたがたが信仰のない者に招待されて、行きたいと思うときは、良心の問題として調べ上げることはしないで、自分の前に置かれる物はどれでも食べなさい。
  28. しかし、もしだれかが、「これは偶像にささげた肉です。」とあなたがたに言うなら、そう知らせた人のために、また良心のために、食べてはいけません。
  29. 私が良心と言うのは、あなたの良心ではなく、ほかの人の良心です。私の自由が、他の人の良心によってさばかれるわけがあるでしょうか。
  30. もし、私が神に感謝をささげて食べるなら、私が感謝する物のために、そしられるわけがあるでしょうか。
  31. こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現わすためにしなさい。
  32. ユダヤ人にも、ギリシヤ人にも、神の教会にも、つまずきを与えないようにしなさい。
  33. 私も、人々が救われるために、自分の利益を求めず、多くの人の利益を求め、どんなことでも、みなの人を喜ばせているのですから。

第11章

  1. 私がキリストを見ならっているように、あなたがたも私を見ならってください。
  2. さて、あなたがたは、何かにつけて私を覚え、また、私があなたがたに伝えたものを、伝えられたとおりに堅く守っているので、私はあなたがたをほめたいと思います。
  3. しかし、あなたがたに次のことを知っていただきたいのです。すべての男のかしらはキリストであり、女のかしらは男であり、キリストのかしらは神です。
  4. 男が、祈りや預言をするとき、頭にかぶり物を着けていたら、自分の頭をはずかしめることになります。
  5. しかし、女が、祈りや預言をするとき、頭にかぶり物を着けていなかったら、自分の頭をはずかしめることになります。それは髪をそっているのと全く同じことだからです。
  6. 女がかぶり物を着けないのなら、髪も切ってしまいなさい。髪を切り、頭をそることが女として恥ずかしいことなら、かぶり物を着けなさい。
  7. 男はかぶり物を着けるべきではありません。男は神の似姿であり、神の栄光の現われだからです。女は男の栄光の現われです。
  8. なぜなら、男は女をもとにして造られたのではなくて、女が男をもとにして造られたのであり、
  9. また、男は女のために造られたのではなく、女が男のために造られたのだからです。
  10. ですから、女は頭に権威のしるしをかぶるべきです。それも御使いたちのためにです。
  11. とはいえ、主にあっては、女は男を離れてあるものではなく、男も女を離れてあるものではありません。
  12. 女が男をもとにして造られたように、同様に、男も女によって生まれるのだからです。しかし、すべては神から発しています。
  13. あなたがたは自分自身で判断しなさい。女が頭に何もかぶらないで神に祈るのは、ふさわしいことでしょうか。
  14. 自然自体が、あなたがたにこう教えていないでしょうか。男が長い髪をしていたら、それは男として恥ずかしいことであり、
  15. 女が長い髪をしていたら、それは女の光栄であるということです。なぜなら、髪はかぶり物として女に与えられているからです。
  16. たとい、このことに異議を唱えたがる人がいても、私たちにはそのような習慣はないし、神の諸教会にもありません。
  17. ところで、聞いていただくことがあります。私はあなたがたをほめません。あなたがたの集まりが益にならないで、かえって害になっているからです。
  18. まず第一に、あなたがたが教会の集まりをするとき、あなたがたの間には分裂があると聞いています。ある程度は、それを信じます。
  19. というのは、あなたがたの中でほんとうの信者が明らかにされるためには、分派が起こるのもやむをえないからです。
  20. しかし、そういうわけで、あなたがたはいっしょに集まっても、それは主の晩餐を食べるためではありません。
  21. 食事のとき、めいめい我先にと自分の食事を済ませるので、空腹な者もおれば、酔っている者もいるというしまつです。
  22. 飲食のためなら、自分の家があるでしょう。それとも、あなたがたは、神の教会を軽んじ、貧しい人たちをはずかしめたいのですか。私はあなたがたに何と言ったらよいでしょう。ほめるべきでしょうか。このことに関しては、ほめるわけにはいきません。
  23. 私は主から受けたことを、あなたがたに伝えたのです。すなわち、主イエスは、渡される夜、パンを取り、
  24. 感謝をささげて後、それを裂き、こう言われました。「これはあなたがたのための、わたしのからだです。わたしを覚えるために、このようにしなさい。」
  25. 夕食の後、杯をも同じようにして言われました。「この杯は、わたしの血による新しい契約です。これを飲むたびに、わたしを覚えるために、このようにしなさい。」
  26. ですから、あなたがたは、このパンを食べ、この杯を飲むたびに、主が来られるまで、主の死を告げ知らせるのです。
  27. したがって、もし、ふさわしくないままでパンを食べ、主の杯を飲む者があれば、主のからだと血に対して罪を犯すことになります。
  28. ですから、ひとりひとりが自分を吟味して、そのうえでパンを食べ、杯を飲みなさい。
  29. みからだをわきまえないで、飲み食いするならば、その飲み食いが自分をさばくことになります。
  30. そのために、あなたがたの中に、弱い者や病人が多くなり、死んだ者が大ぜいいます。
  31. しかし、もし私たちが自分をさばくなら、さばかれることはありません。
  32. しかし、私たちがさばかれるのは、主によって懲らしめられるのであって、それは、私たちが、この世とともに罪に定められることのないためです。
  33. ですから、兄弟たち。食事に集まるときは、互いに待ち合わせなさい。
  34. 空腹な人は家で食べなさい。それは、あなたがたが集まることによって、さばきを受けることにならないためです。その他のことについては、私が行ったときに決めましょう。

第12章

  1. さて、兄弟たち。御霊の賜物についてですが、私はあなたがたに、ぜひ次のことを知っていていただきたいのです。
  2. ご承知のように、あなたがたが異教徒であったときには、どう導かれたとしても、引かれて行った所は、ものを言わない偶像の所でした。
  3. ですから、私は、あなたがたに次のことを教えておきます。神の御霊によって語る者はだれも、「イエスはのろわれよ。」と言わず、また、聖霊によるのでなければ、だれも、「イエスは主です。」と言うことはできません。
  4. さて、御霊の賜物にはいろいろの種類がありますが、御霊は同じ御霊です。
  5. 奉仕にはいろいろの種類がありますが、主は同じ主です。
  6. 働きにはいろいろの種類がありますが、神はすべての人の中ですべての働きをなさる同じ神です。
  7. しかし、みなの益となるために、おのおのに御霊の現われが与えられているのです。
  8. ある人には御霊によって知恵のことばが与えられ、ほかの人には同じ御霊にかなう知識のことばが与えられ、
  9. またある人には同じ御霊による信仰が与えられ、ある人には同一の御霊によって、いやしの賜物が与えられ、
  10. ある人には奇蹟を行なう力、ある人には預言、ある人には霊を見分ける力、ある人には異言、ある人には異言を解き明かす力が与えられています。
  11. しかし、同一の御霊がこれらすべてのことをなさるのであって、みこころのままに、おのおのにそれぞれの賜物を分け与えてくださるのです。
  12. ですから、ちょうど、からだが一つでも、それに多くの部分があり、からだの部分はたとい多くあっても、その全部が一つのからだであるように、キリストもそれと同様です。
  13. なぜなら、私たちはみな、ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も自由人も、一つのからだとなるように、一つの御霊によってバプテスマを受け、そしてすべての者が一つの御霊を飲む者とされたからです。
  14. 確かに、からだはただ一つの器官ではなく、多くの器官から成っています。
  15. たとい、足が、「私は手ではないから、からだに属さない。」と言ったところで、そんなことでからだに属さなくなるわけではありません。
  16. たとい、耳が、「私は目ではないから、からだに属さない。」と言ったところで、そんなことでからだに属さなくなるわけではありません。
  17. もし、からだ全体が目であったら、どこで聞くのでしょう。もし、からだ全体が聞くところであったら、どこでかぐのでしょう。
  18. しかしこのとおり、神はみこころに従って、からだの中にそれぞれの器官を備えてくださったのです。
  19. もし、全部がただ一つの器官であったら、からだはいったいどこにあるのでしょう。
  20. しかしこういうわけで、器官は多くありますが、からだは一つなのです。
  21. そこで、目が手に向かって、「私はあなたを必要としない。」と言うことはできないし、頭が足に向かって、「私はあなたを必要としない。」と言うこともできません。
  22. それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです。
  23. また、私たちは、からだの中で比較的に尊くないとみなす器官を、ことさらに尊びます。こうして、私たちの見ばえのしない器官は、ことさらに良いかっこうになりますが、
  24. かっこうの良い器官にはその必要がありません。しかし神は、劣ったところをことさらに尊んで、からだをこのように調和させてくださったのです。
  25. それは、からだの中に分裂がなく、各部分が互いにいたわり合うためです。
  26. もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。
  27. あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。
  28. そして、神は教会の中で人々を次のように任命されました。すなわち、第一に使徒、次に預言者、次に教師、それから奇蹟を行なう者、それからいやしの賜物を持つ者、助ける者、治める者、異言を語る者などです。
  29. みなが使徒でしょうか。みなが預言者でしょうか。みなが教師でしょうか。みなが奇蹟を行なう者でしょうか。
  30. みながいやしの賜物を持っているでしょうか。みなが異言を語るでしょうか。みなが解き明かしをするでしょうか。
  31. あなたがたは、よりすぐれた賜物を熱心に求めなさい。また私は、さらにまさる道を示してあげましょう。

第13章

  1. たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。
  2. また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値うちもありません。
  3. また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。
  4. 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。
  5. 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、
  6. 不正を喜ばずに真理を喜びます。
  7. すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。
  8. 愛は決して絶えることがありません。預言の賜物ならばすたれます。異言ならばやみます。知識ならばすたれます。
  9. というのは、私たちの知っているところは一部分であり、預言することも一部分だからです。
  10. 完全なものが現われたら、不完全なものはすたれます。
  11. 私が子どもであったときには、子どもとして話し、子どもとして考え、子どもとして論じましたが、おとなになったときには、子どものことをやめました。
  12. 今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には顔と顔とを合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、その時には、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。
  13. こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。

第14章

  1. 愛を追い求めなさい。また、御霊の賜物、特に預言することを熱心に求めなさい。
  2. 異言を話す者は、人に話すのではなく、神に話すのです。というのは、だれも聞いていないのに、自分の霊で奥義を話すからです。
  3. ところが預言する者は、徳を高め、勧めをなし、慰めを与えるために、人に向かって話します。
  4. 異言を話す者は自分の徳を高めますが、預言する者は教会の徳を高めます。
  5. 私はあなたがたがみな異言を話すことを望んでいますが、それよりも、あなたがたが預言することを望みます。もし異言を話す者がその解き明かしをして教会の徳を高めるのでないなら、異言を語る者よりも、預言する者のほうがまさっています。
  6. ですから、兄弟たち。私があなたがたのところへ行って異言を話すとしても、黙示や知識や預言や教えなどによって話さないなら、あなたがたに何の益となるでしょう。
  7. 笛や琴などいのちのない楽器でも、はっきりした音を出さなければ、何を吹いているのか、何をひいているのか、どうしてわかりましょう。
  8. また、ラッパがもし、はっきりしない音を出したら、だれが戦闘の準備をするでしょう。
  9. それと同じように、あなたがたも、舌で明瞭なことばを語るのでなければ、言っている事をどうして知ってもらえるでしょう。それは空気に向かって話しているのです。
  10. 世界にはおそらく非常に多くの種類のことばがあるでしょうが、意味のないことばなど一つもありません。
  11. それで、もし私がそのことばの意味を知らないなら、私はそれを話す人にとって異国人であり、それを話す人も私にとって異国人です。
  12. あなたがたのばあいも同様です。あなたがたは御霊の賜物を熱心に求めているのですから、教会の徳を高めるために、それが豊かに与えられるよう、熱心に求めなさい。
  13. こういうわけですから、異言を語る者は、それを解き明かすことができるように祈りなさい。
  14. もし私が異言で祈るなら、私の霊は祈るが、私の知性は実を結ばないのです。
  15. ではどうすればよいのでしょう。私は霊において祈り、また知性においても祈りましょう。霊において賛美し、また知性においても賛美しましょう。
  16. そうでないと、あなたが霊において祝福しても、異言を知らない人々の座席に着いている人は、あなたの言っていることがわからないのですから、あなたの感謝について、どうしてアーメンと言えるでしょう。
  17. あなたの感謝は結構ですが、他の人の徳を高めることはできません。
  18. 私は、あなたがたのだれよりも多くの異言を話すことを神に感謝していますが、
  19. 教会では、異言で一万語話すよりは、ほかの人を教えるために、私の知性を用いて五つのことばを話したいのです。
  20. 兄弟たち。物の考え方において子どもであってはなりません。悪事においては幼子でありなさい。しかし考え方においてはおとなになりなさい。
  21. 律法にこう書いてあります。「『わたしは、異なった舌により、異国の人のくちびるによってこの民に語るが、彼らはなおわたしの言うことを聞き入れない。』と主は言われる。」
  22. それで、異言は信者のためのしるしではなく、不信者のためのしるしです。けれども、預言は不信者でなく、信者のためのしるしです。
  23. ですから、もし教会全体が一か所に集まって、みなが異言を話すとしたら、初心の者とか信者でない者とかがはいって来たとき、彼らは、あなたがたを気違いだと言わないでしょうか。
  24. しかし、もしみなが預言をするなら、信者でない者や初心の者がはいって来たとき、その人はみなの者によって罪を示されます。みなにさばかれ、
  25. 心の秘密があらわにされます。そうして、神が確かにあなたがたの中におられると言って、ひれ伏して神を拝むでしょう。
  26. 兄弟たち。では、どうすればよいのでしょう。あなたがたが集まるときには、それぞれの人が賛美したり、教えたり、黙示を話したり、異言を話したり、解き明かしたりします。そのすべてのことを、徳を高めるためにしなさい。
  27. もし異言を話すのならば、ふたりか、多くても三人で順番に話すべきで、ひとりは解き明かしをしなさい。
  28. もし解き明かす者がだれもいなければ、教会では黙っていなさい。自分だけで、神に向かって話しなさい。
  29. 預言する者も、ふたりか三人が話し、ほかの者はそれを吟味しなさい。
  30. もしも座席に着いている別の人に黙示が与えられたら、先の人は黙りなさい。
  31. あなたがたは、みながかわるがわる預言できるのであって、すべての人が学ぶことができ、すべての人が勧めを受けることができるのです。
  32. 預言者たちの霊は預言者たちに服従するものなのです。
  33. それは、神が混乱の神ではなく、平和の神だからです。聖徒たちのすべての教会で行なわれているように、
  34. 教会では、妻たちは黙っていなさい。彼らは語ることを許されていません。律法も言うように、服従しなさい。
  35. もし何かを学びたければ、家で自分の夫に尋ねなさい。教会で語ることは、妻にとってはふさわしくないことです。
  36. 神のことばは、あなたがたのところから出たのでしょうか。あるいはまた、あなたがたにだけ伝わったのでしょうか。
  37. 自分を預言者、あるいは、御霊の人と思う者は、私があなたがたに書くことが主の命令であることを認めなさい。
  38. もしそれを認めないなら、その人は認められません。
  39. それゆえ、私の兄弟たち。預言することを熱心に求めなさい。異言を話すことも禁じてはいけません。
  40. ただ、すべてのことを適切に、秩序をもって行ないなさい。

第15章

  1. 兄弟たち。私は今、あなたがたに福音を知らせましょう。これは、私があなたがたに宣べ伝えたもので、あなたがたが受け入れ、また、それによって立っている福音です。
  2. また、もしあなたがたがよく考えもしないで信じたのでないなら、私の宣べ伝えたこの福音のことばをしっかりと保っていれば、この福音によって救われるのです。
  3. 私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、
  4. また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、
  5. また、ケパに現われ、それから十二弟子に現われたことです。
  6. その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現われました。その中の大多数の者は今なお生き残っていますが、すでに眠った者もいくらかいます。
  7. その後、キリストはヤコブに現われ、それから使徒たち全部に現われました。
  8. そして、最後に、月足らずで生まれた者と同様な私にも、現われてくださいました。
  9. 私は使徒の中では最も小さい者であって、使徒と呼ばれる価値のない者です。なぜなら、私は神の教会を迫害したからです。
  10. ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。
  11. そういうわけですから、私にせよ、ほかの人たちにせよ、私たちはこのように宣べ伝えているのであり、あなたがたはこのように信じたのです。
  12. ところで、キリストは死者の中から復活された、と宣べ伝えられているのなら、どうして、あなたがたの中に、死者の復活はない、と言っている人がいるのですか。
  13. もし、死者の復活がないのなら、キリストも復活されなかったでしょう。
  14. そして、キリストが復活されなかったのなら、私たちの宣教は実質のないものになり、あなたがたの信仰も実質のないものになるのです。
  15. それどころか、私たちは神について偽証をした者ということになります。なぜなら、もしもかりに、死者の復活はないとしたら、神はキリストをよみがえらせなかったはずですが、私たちは神がキリストをよみがえらせた、と言って神に逆らう証言をしたからです。
  16. もし、死者がよみがえらないのなら、キリストもよみがえらなかったでしょう。
  17. そして、もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。
  18. そうだったら、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったのです。
  19. もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。
  20. しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。
  21. というのは、死がひとりの人を通して来たように、死者の復活もひとりの人を通して来たからです。
  22. すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです。
  23. しかし、おのおのにその順番があります。まず初穂であるキリスト、次にキリストの再臨のときキリストに属している者です。
  24. それから終わりが来ます。そのとき、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、国を父なる神にお渡しになります。
  25. キリストの支配は、すべての敵をその足の下に置くまで、と定められているからです。
  26. 最後の敵である死も滅ぼされます。
  27. 「彼は万物をその足の下に従わせた。」からです。ところで、万物が従わせられた、と言うとき、万物を従わせたその方がそれに含められていないことは明らかです。
  28. しかし、万物が御子に従うとき、御子自身も、ご自分に万物を従わせた方に従われます。これは、神が、すべてにおいてすべてとなられるためです。
  29. もしこうでなかったら、死者のゆえにバプテスマを受ける人たちは、何のためにそうするのですか。もし、死者は決してよみがえらないのなら、なぜその人たちは、死者のゆえにバプテスマを受けるのですか。
  30. また、なぜ私たちもいつも危険にさらされているのでしょうか。
  31. 兄弟たち。私にとって、毎日が死の連続です。これは、私たちの主キリスト・イエスにあってあなたがたを誇る私の誇りにかけて、誓って言えることです。
  32. もし、私が人間的な動機から、エペソで獣と戦ったのなら、何の益があるでしょう。もし、死者の復活がないのなら、「あすは死ぬのだ。さあ、飲み食いしようではないか。」ということになるのです。
  33. 思い違いをしてはいけません。友だちが悪ければ、良い習慣がそこなわれます。
  34. 目をさまして、正しい生活を送り、罪をやめなさい。神についての正しい知識を持っていない人たちがいます。私はあなたがたをはずかしめるために、こう言っているのです。
  35. ところが、ある人はこう言うでしょう。「死者は、どのようにしてよみがえるのか。どのようなからだで来るのか。」
  36. 愚かな人だ。あなたの蒔く物は、死ななければ、生かされません。
  37. あなたが蒔く物は、後にできるからだではなく、麦やそのほかの穀物の種粒です。
  38. しかし神は、みこころに従って、それにからだを与え、おのおのの種にそれぞれのからだをお与えになります。
  39. すべての肉が同じではなく、人間の肉もあり、獣の肉もあり、鳥の肉もあり、魚の肉もあります。
  40. また、天上のからだもあり、地上のからだもあり、天上のからだの栄光と地上のからだの栄光とは異なっており、
  41. 太陽の栄光もあり、月の栄光もあり、星の栄光もあります。個々の星によって栄光が違います。
  42. 死者の復活もこれと同じです。朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものによみがえらされ、
  43. 卑しいもので蒔かれ、栄光あるものによみがえらされ、弱いもので蒔かれ、強いものによみがえらされ、
  44. 血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされるのです。血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるのです。
  45. 聖書に「最初の人アダムは生きた者となった。」と書いてありますが、最後のアダムは、生かす御霊となりました。
  46. 最初にあったのは血肉のものであり、御霊のものではありません。御霊のものはあとに来るのです。
  47. 第一の人は地から出て、土で造られた者ですが、第二の人は天から出た者です。
  48. 土で造られた者はみな、この土で造られた者に似ており、天からの者はみな、この天から出た者に似ているのです。
  49. 私たちは土で造られた者のかたちを持っていたように、天上のかたちをも持つのです。
  50. 兄弟たちよ。私はこのことを言っておきます。血肉のからだは神の国を相続できません。朽ちるものは、朽ちないものを相続できません。
  51. 聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみなが眠ってしまうのではなく、みな変えられるのです。
  52. 終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。
  53. 朽ちるものは、必ず朽ちないものを着なければならず、死ぬものは、必ず不死を着なければならないからです。
  54. しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた。」としるされている、みことばが実現します。
  55. 「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」
  56. 死のとげは罪であり、罪の力は律法です。
  57. しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。
  58. ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。

第16章

  1. さて、聖徒たちのための献金については、ガラテヤの諸教会に命じたように、あなたがたにもこう命じます。
  2. 私がそちらに行ってから献金を集めるようなことがないように、あなたがたはおのおの、いつも週の初めの日に、収入に応じて、手もとにそれをたくわえておきなさい。
  3. 私がそちらに行ったとき、あなたがたの承認を得た人々に手紙を持たせて派遣し、あなたがたの献金をエルサレムに届けさせましょう。
  4. しかし、もし私も行くほうがよければ、彼らは、私といっしょに行くことになるでしょう。
  5. 私は、マケドニヤを通って後、あなたがたのところへ行きます。マケドニヤを通るつもりでいますから。
  6. そして、たぶんあなたがたのところに滞在するでしょう。冬を越すことになるかもしれません。それは、どこに行くとしても、あなたがたに送っていただこうと思うからです。
  7. 私は、いま旅の途中に、あなたがたの顔を見たいと思っているのではありません。主がお許しになるなら、あなたがたのところにしばらく滞在したいと願っています。
  8. しかし、五旬節まではエペソに滞在するつもりです。
  9. というのは、働きのための広い門が私のために開かれており、反対者も大ぜいいるからです。
  10. テモテがそちらへ行ったら、あなたがたのところで心配なく過ごせるよう心を配ってください。彼も、私と同じように、主のみわざに励んでいるからです。
  11. だれも彼を軽んじてはいけません。彼を平安のうちに送り出して、私のところに来させてください。私は、彼が兄弟たちとともに来るのを待ち望んでいます。
  12. 兄弟アポロのことですが、兄弟たちといっしょにあなたがたのところへ行くように、私は強く彼に勧めました。しかし、彼は今、そちらへ行こうとは全然思っていません。しかし、機会があれば行くでしょう。
  13. 目を覚ましていなさい。堅く信仰に立ちなさい。男らしく、強くありなさい。
  14. いっさいのことを愛をもって行ないなさい。
  15. 兄弟たちよ。あなたがたに勧めます。ご承知のように、ステパナの家族は、アカヤの初穂であって、聖徒たちのために熱心に奉仕してくれました。
  16. あなたがたは、このような人たちに、また、ともに働き、労しているすべての人たちに服従しなさい。
  17. ステパナとポルトナトとアカイコが来たので、私は喜んでいます。なぜなら、彼らは、あなたがたの足りない分を補ってくれたからです。
  18. 彼らは、私の心をも、あなたがたの心をも安心させてくれました。このような人々の労をねぎらいなさい。
  19. アジヤの諸教会がよろしくと言っています。アクラとプリスカ、また彼らの家の教会が主にあって心から、あなたがたによろしくと言っています。
  20. すべての兄弟たちが、あなたがたによろしくと言っています。きよい口づけをもって、互いにあいさつをかわしなさい。
  21. パウロが、自分の手であいさつを書きます。
  22. 主を愛さない者はだれでも、のろわれよ。主よ、来てください。
  23. 主イエスの恵みが、あなたがたとともにありますように。
  24. 私の愛は、キリスト・イエスにあって、あなたがたすべての者とともにあります。アーメン。