イエス・キリストは唯一であり、お一人だけなハズなのに、何故、こんなにも多くの教派が乱立しているのか?

2019年2月3日

誰もが不思議に想っていると思います。

イエス・キリストは唯一であり、お一人だけなハズなのに、何故、こんなにも多くの教派が乱立しているのか?

その答えは、いわゆる教派全てに於いて、人の造った教え(教会の教理とか、信条とか言われているモノ)を掲げて、それを旗印として教会と名乗ったり、教派と名乗っており、これがイエス・キリストの言葉では無く、人の造った教えがイエス・キリストの教えの如く誤って敬う事で、イエス・キリストの言葉に留まる事から逸脱し、外れてしまっている事が原因です。

それから今に至るまで、母教会の教えに固執し、その束縛から抜け出れなくなってしまっているのです。

そう、いわゆるキリスト教はイエス・キリストの言葉に留まる弟子では無くなり、人の教えを優先し、神様が見えなくなってしまったのです。

当サイトで紹介している2つの希望の教会でも、神様を信じ、イエス・キリストを信じてはいるのですが、残念ながら真理を知り、真理によって自由を得ているとは言えない水準である事が伺えます。

当然カトリック教会は、傲慢にも自分たちが唯一で正しいと思い込んでいますし、彼らは「自分たちもただの罪人であり、神様のみが唯一、正しい方である事」をも忘れているのでしょう。

初期のキリスト教の教会では、使徒と呼ばれるイエス・キリストの生き証人により、イエス・キリストの言葉に留まる事を教えてくれる者の導きで正しく導かれていたが、使徒が居なくなると、使徒が居なくなってもイエス・キリストの言葉に留まれるように、使徒信条なるモノが考え出されましたが、今の現在における様に聖書を全部読める私たちが思うには、複雑化した現在に於いては不十分であると思います。

ただし、イエス・キリストの弟子として守るべき基軸となる言葉を上げるならば次の言葉になるでしょう。

ヨハネ福音8:31-32

 そこでイエスは、その信じたユダヤ人たちに言われた。「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」

この言葉を守ろうとすれば、おのずと「聖書のイエス・キリストの言葉を守ろう」と言う思いが出て来るものと思いますし、それがイエス・キリストを愛する事だと思いますし、イエス・キリストを愛する者は、全知全能なる神様、唯一の神様である「父なる神様」を愛する事に繋がるのです。

人の造った言葉を神の如く後生守ろうとするのではなく、その様な偶像は捨て去り、イエス・キリストの言葉に留まりましょう。