動画検証「Q11 旧約聖書に出てくる「いけにえ」の意味は?【3分でわかる聖書】」を考える。
こちらの動画はハーベスト・タイム・ミニストリーズというキリスト教再臨運動の団体の主催で作られた様です。
今回はQ11です。
この動画も適切ではありません。
1:08から罪は私たちの心に罪責感というものが心にのしかかる。と話していますが、それは聖書的では無いです。
それは次の様に預言者イザヤを通して神様が語られているからです。
イザヤ59:1-2
見よ、主の手が短くて、救い得ないのではない。その耳が鈍くて聞き得ないのでもない。
ただ、あなたがたの不義があなたがたと、あなたがたの神との間を隔てたのだ。
またあなたがたの罪が主の顔をおおったために、お聞きにならないのだ。
つまり罪と言うモノが、神様と、人との間に立ちはだかるのです。
これにより心に対する罪責感が有るかも知れませんが、それ以外の事柄で説明するのは良くありません。
1:34にて2番目のポイントとして「いけにえの血は、不完全なもの」としており、動物の血では許されない。と述べておりますが、これは聖書に反します。
レビ記を読んで見て見てください、至る所でモーセが「彼はゆるされるであろう。」と述べている記事が見つかるからです。
モーセは預言者ですし、彼が許すわけでも無い為、代理人として「あろう」と言う表現にとどまっていると言えます。
罪を許すのは神様だけですし、神様が罪を許す条件として「罪の代価は命であり、動物の命で贖う様に。」としているのが旧約と呼ばれる旧来の契約です。
旧約で許されていなければ、旧約自体が嘘偽りの書物となり、神様の許しも、預言者モーセを否定する事となり、旧約と新約に繋がりも無く、新約における命による贖いも許しもありません。
それを踏まえて考えると、偽牧師の話は本末転倒な聖書の説明となるのです。
動物の血が不完全であり、イエスの血は完全である。などは使徒パウロが述べているのですが
これは動物の血による贖いは、捧げた人が過去に対してのみに効果が有るのものであり、それに対しイエスの血は流されて以降、それを受けいれる全ての者に対して効果を有するので、それを完全と称しているのです。
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