偽物の教えについて
私の主であり、友であるイエス・キリストは偽物の教えについて、次の様に語っています。
マタイ7:21-23
わたしに向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行なう者がはいるのです。その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行なったではありませんか。』しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』
マルコ12:38-40
イエスはその教えの中でこう言われた。「律法学者たちには気をつけなさい。彼らは、長い衣をまとって歩き回ったり、広場であいさつされたりすることが大好きで、また会堂の上席や、宴会の上座が大好きです。また、やもめの家を食いつぶし、見えを飾るために長い祈りをします。こういう人たちは人一倍きびしい罰を受けるのです。」
マルコ13:5-31
そこで、イエスは彼らに話し始められた。「人に惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名のる者が大ぜい現われ、『私こそそれだ。』と言って、多くの人を惑わすでしょう。また、戦争のことや戦争のうわさを聞いても、あわててはいけません。それは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に地震があり、ききんも起こるはずだからです。これらのことは、産みの苦しみの初めです。だが、あなたがたは、気をつけていなさい。人々は、あなたがたを議会に引き渡し、また、あなたがたは会堂でむち打たれ、また、わたしのゆえに、総督や王たちの前に立たされます。それは彼らに対してあかしをするためです。こうして、福音がまずあらゆる民族に宣べ伝えられなければなりません。彼らに捕えられ、引き渡されたとき、何と言おうかなどと案じるには及びません。ただ、そのとき自分に示されることを、話しなさい。話すのはあなたがたではなく、聖霊です。また兄弟は兄弟を死に渡し、父は子を死に渡し、子は両親に逆らって立ち、彼らを死に至らせます。また、わたしの名のために、あなたがたはみなの者に憎まれます。しかし、最後まで耐え忍ぶ人は救われます。『荒らす憎むべきもの』が、自分の立ってはならない所に立っているのを見たならば(読者はよく読み取るように。)ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。屋上にいる者は降りてはいけません。家から何かを取り出そうとして中にはいってはいけません。畑にいる者は着物を取りに戻ってはいけません。だが、その日、悲惨なのは身重の女と乳飲み子を持つ女です。ただ、このことが冬に起こらないように祈りなさい。その日は、神が天地を創造された初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような苦難の日だからです。そして、もし主がその日数を少なくしてくださらないなら、ひとりとして救われる者はないでしょう。しかし、主は、ご自分で選んだ選びの民のために、その日数を少なくしてくださったのです。そのとき、あなたがたに、『そら、キリストがここにいる。』とか、『ほら、あそこにいる。』とか言う者があっても、信じてはいけません。にせキリスト、にせ預言者たちが現われて、できれば選民を惑わそうとして、しるしや不思議なことをして見せます。
だから、気をつけていなさい。わたしは、何もかも前もって話しました。だが、その日には、その苦難に続いて、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ち、天の万象は揺り動かされます。そのとき、人々は、人の子が偉大な力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを見るのです。そのとき、人の子は、御使いたちを送り、地の果てから天の果てまで、四方からその選びの民を集めます。いちじくの木から、たとえを学びなさい。枝が柔らかになって、葉が出て来ると、夏の近いことがわかります。そのように、これらのことが起こるのを見たら、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。まことに、あなたがたに告げます。これらのことが全部起こってしまうまでは、この時代は過ぎ去りません。この天地は滅びます。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。
今の世の中には「われらの教えこそキリストの教えを、伝えている正しい教会だ。」と公言しておきながら、イエス・キリストの言葉以外の、誰かの考えた教えを伝え始める教会が有る様です。それは非常に危ない感じがしますね。
イエス・キリストは次の様に語っています。
マルコ10:17-18
イエスが道に出て行かれると、ひとりの人が走り寄り、みまえにひざまずいて尋ねた、「よき師よ、永遠の生命を受けるために、何をしたらよいでしょうか」。イエスは言われた、「なぜわたしをよき者と言うのか。神ひとりのほかによい者はいない。
神様以外に良い者はいませんし、正しい方もいません。
逆に、良い教え、正しい教えなどと自称する教えこそ、神様に反していると暗に伺い知る事が出来ると思われます。
では、私たちはどうすればよいのだろうか?
イエス・キリストは真理に至る方法を次の様に語っています。
ヨハネ福音8:31-32
そこでイエスは、その信じたユダヤ人たちに言われた。「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」
イエス・キリストに学ぶ弟子となり、イエスの言葉に留まることこそが真理に至る道であり、私たちを縛っている物から解き放たれ、自由になれるのです。
ディスカッション
コメント一覧
今はバプテスマ前の伝道者の立場です。来年の夏前頃にバプテスマを受けるべく、研鑽しています。
伝道者の立場は、救われているですか?救われていないのですか?
私は200年前の書物を信じていません。信じているのは聖書に書かれた不動の真理です。神は生きておられます。聖書の理解は時代にそって、どんどんと明らかにされています。解釈は進化していきます。エホバの証人の聖書解釈も同じです。かつては喫煙を許していたり、クリスマスを祝っていました。
洗礼は受けられましたか?
カレブさんはラッセルという人物をご存知ですか。カレブさんの今の活動に似たことをしました。
https://wol.jw.org/ja/wol/h/r7/lp-j
世の教会が聖書の教えと異なっていた為に訣別し、自分を聖書研究者と呼びました。エホバの証人のかつての名称です。
神様は生きておられます。
過去に神様の言葉として、聖書が人に与えられました。
聖書から見える神様という存在がどの様な方の様に見えるのか、神様は時代に応じて、人々に見える姿を変えて来ているのだと思っています。
ラッセル氏は1800年代の方です。200年もの過去に見ていた神様と、今現在見えている神様とでは、知識が異なる影響もあり違って見えてるのです。
今、生きている神様を見ましょう。
過去の人が書いた書物等に囚われるのは止めましょう。